身体や思考との同化

私たちの苦しみのすべては、同化によって起きてくるのです。その同化にも二種類のものがあって、一つは身体との同化であり、もう一つはマインド(思考)との同化です。

生まれたばかりの赤ちゃんは、在るがままでまだ何とも同化などしていません。だからこそ、自分という個がない状態で生きているのです。

ところが、2~3年経つうちに、周囲からの連続的な刺激によって、まず身体との同化が始まり出すのです。つまり、自分とはこの身体に違いないという思い込みです。

そしてまもなく、更に自分とマインド(思考)を同化させていくことになるのです。ここにきて、当然のことながら「私」というものが立ち上がってくるのです。

この過程は、別の切り口から見ると、親と分離していく時期であるとも言えるのです。どの子供も、分離などしたくもないのに、成長と共に仕方なく、また残念ながらも、ここに「私」がいるということを受け容れてしまうのです。

これが自我(エゴ)の始まりですね。あなたは、「自分とは身体だ」と言えるでしょうか?その表現に違和感がないのであれば、まだ身体との同化が強く残っているということです。

同化が薄れていれば、「これは自分の身体だ」という方が自然な感じがするはずです。この身体との同化の深度は、きっと人によってかなりの違いがあるように思います。

けれども、一方マインド(思考)との同化についてはどうかと言えば、それはもうほとんど100%の人たちが完全に同化していると断言できます。

ただし、その中でも何となく意識と思考の区別ができているような感じがするのであれば、思考との同化は減ってきていると言ってもいいかもしれません。

やってきては去っていく思考とは、ちょうど青空の中にやってきては去っていく、幾層もの雲と同じようなものだと考えることができますね

そして、思考という雲のバックグラウンドこそが、意識という青空であると考えればいいのです。そして、思考との同化が減ってくると、自分の本性とはこの純粋な意識なのだと分かるようになるはずです。

青空が永遠に続くように、あなたという意識は生まれることも死ぬこともありませんし、青空のように無限の大きさなのです。そのことは、同化がなくなったときに当然のこととして気づくことになるのです。