「自己想起」していること

先日、グナという人間に備わっている資質について書いたのですが、その中でラジャス・グナが優勢な人は活動的で、しかも情熱的な資質が表面化するということも書きました。

こうした活動的なエネルギーで満たされている人にとって、毎日時間を設けて静かに瞑想するなどということは、苦手なことだろうと推察します。

同じようなことが子供に対しても当てはまるでしょうね。動いていなければいけない活発な子供を、押さえつけて瞑想しろと言ってもどだい無理なことです。

この子供が静かになるのは、本当に具合が悪いときくらいなのですから。このような活動的でゆったりと落ち着いていることが苦手なラジャス・グナが優勢な人に対しては、どういった瞑想法があるのでしょうか?

それが、「自己想起」なのです。この方法は、過去に多くの導師が弟子に対して与えた技法です。それは、簡単に言えば、何が起きようと常に自分自身へ意識を向け続けるということです。

普段の生活のあらゆる場面において、歩いていても、食事をしていても、たとえ仕事中であろうと、とにかく自分に意識を向けているということです。

ブッダは、自分の呼吸を常に意識し続けるようにと、弟子に対して仕向けていたそうです。常に、息を吸っている、息を吐いているという具合に、それのみを見つめ続けるということです。

私たちは、自分が意識的に生きていると思い込んでいます。そして、睡眠中にのみ、無意識の中へ入り込むのだと。そのように感じているはずですね。

けれども、しっかり覚醒している状態とは、どの瞬間にも100%の力で自己へと注意が向けられているはずなのです。

ということは、私たちの毎日の生活、つまりすぐに外側の事に注意を持っていかれてしまっている状態というのは、真に意識的であるとはいえないのです。

半分覚醒して半分睡眠状態であると言ってもいいかもしれません。しっかり意識を覚醒し続けるためには、相当の持続的な努力が必要だということが分かります。

長い間の悪癖がしみ込んでしまっているので、この自己想起を続けることはそう簡単なことではないはずですが、それでも時間も労力もかからずにできるので、是非試してみることをお勧めします。

私自身も、現在チャレンジ中です。