自由の感覚を手にする

観照し始めてごらん。通りを歩くとき、観照者になるのだ。身体が歩いているのを見守ってみなさい。もっとも内なる核心から、ただ見守り、観照し、観察する。突如として、あなたは自由の感覚を手にするだろう。

by osho

1日に1回でいいから、歯磨きをするときにそれを観照してみることです。そうすると、それは自動的に起きていると分かります。

あるいは、1日に1回でいいので、街を歩いているときにそれを観照してみると、歩いているのは身体だと分かります。

ほんの少しでいいので、そうやってテレビを観ているとき、食事をしているとき、ちょっと難しいですが誰かと話しをしているとき、それを観照するのです。

そうすると、観照されるあらゆる出来事は、それ自体がただ起きていることだということに気づけるはずなのです。

そこにいつもの自分が介在する必要はないということに気づくのです。そして元々誰も介在していなかったと分かるのです。

これがなぜ自由の感覚なのかというと、本当の自由とはマインド、自我から離れることだからです。

観照といっても、最初は自我が見ているだけなのですが、それでもほんの少しはこの自由の感覚がいずれはやってきてくれるはずです。

そしてどんな瞬間でも、ほんの数秒の間であれ、この自由の感覚を手にすることができれば、生きている感覚が違ってくるのです。