存在し、存在しない

若い頃、「存在」についてあれこれ考えていたことがありました。そもそも、存在するってどういうことなのかって?

で、出てきた結論は、知覚することだって分かったのです。つまり、自分がそれを知覚することで存在が確定するということ。

ただし、よくよく考察してみると、その知覚そのものがかなり怪しいものだと気づいたのです。

私たちの知覚というのは、存在していないものでもあたかも存在しているように感じることが多々あるからです。

たとえば、「影」というのは存在しないと誰もが知ってはいるものの、あたかも存在するように扱っています。

視覚というのは、輪郭を探し出してそれをトレースすることで、境界線を作り出す習慣があるのです。

そのために影が在るかのように見てしまうわけです。実際は影というのは、光の不在でしかありません。

もしも知覚とは無縁に存在を定義するとなると、妄想を逞しくして、ただ実在するということがあると考えるしかないですね。

それはあくまでもイメージ、つまり思考の世界で存在を捉えようとすることです。結局、真実はといえば、存在することと存在しないことのどちらでもないということ。

存在とは思考の世界にしかないということですね。完全に無思考になれたとき、存在には意味がなくなってしまうのですね。