欲望は惨めさからやってくる

ブッダ、達成した人が死ぬときは、どんな思考もなく、ただ死ぬ。彼はそのオーガズムを楽しむ。それはとてつもない充足、完全なる充足なので、彼には戻ってくる必要がない。ただ宇宙へと消え去る。彼にはもう一度身体をまとう必要はない。

by osho

逆に言えば、欲望が残っているままに死ねば、その欲望を達成しようとして戻ってくることになるということ。

今この地球にいるすべての人たちが、例外なくそうした欲望を携えて戻ってきたことになるのですね。

そう思うと、誰もがみんな自分のことで必死に生きているのです。その目的は、欲望をすべて達成するというもの。

ところが残念なことに、その生き方で充足してもう戻らなくなった人は一人もいないというわけです。

充足した人というのは、欲望を持っている自我が消えてしまった人だからです。欲望は充足してなくなるのではないのです。

気づくべきは、欲望とは充足することを許さないものだということ。欲望はいつまでも欲望として存続したいからです。

これが無限に繰り返される輪廻の理由です。そして欲望とはどこからやってくるのか、それは惨めさからの逃亡です。

惨めだと言う思いがそこから脱出しようとして欲望と化すのです。だから、惨めさの伝搬こそが輪廻だとも言えるのです。

さらに惨めさはどこから来るのかと言えば、勿論思考です。思考こそが惨めさを生み出す張本人。

覚醒した人は、思考(自我)が落ちてしまったので、惨めさが消えると同時に欲望も消えてしまったのです。

それは気持ちよく宇宙へと溶けていけるはずですね。