生まれも消えもしない

ただ純粋な意識

どんな名前も

どんな形も持たないただの純粋性

ただの無形性と無名性

ただ醒めてあるという、まさにその現象そのもの

ただそれだけが踏みとどまる

by osho

それはそうなんでしょうね。なぜなら、何かであればそれはいつか必ず消える運命にあるからです。

何でもなさ、何者でもなさ、その純粋性のみが永続的であるわけですから、それだけが踏みとどまるのは当然です。

ところが、自我というのは何者かであることを強く欲しているのです。というよりも、自我の生い立ちを見れば明らかですが、何者かであるという思い込みこそが自我の正体なのです。

だからその思い込みを真実であると証明するために、人生を浪費するのです。勿論自我はそれを浪費とは思ってはいませんが。

ただこのことは覚えておく必要があります。つまり、何かを証明しようとし続けて何百万年も経つのなら、そもそもが間違っていると理解すべきだということ。

生まれることのないものは消えることもありません。それは時間の介入すら許さないからです。実際自我が消えれば時間も消滅するのです。

無というのは空っぽということではなく、何もなさで満ち満ちているということ。一見空虚に見えるのですが、そこに虚しさはなく満ちているのですね。