意識が目覚めるために思考を利用した

あなたが<家>のあるじなのだ!

その<家>はあなたのものなのだ!

それなのに、お客(=思考)が主人になってしまった

彼らを受け容れ、面倒を見るのはいい

でも彼らといっしょくたになってしまっては駄目だ

さもなければ、彼らのほうが主人になってしまうだろう

by osho

何年も前に初めてこれを読んだ時には、何だか不思議な感じがしたのを覚えています。言わんとすることが、スーッとは入ってこないというのか。

ところが今では、ごく当たり前のことだというのが分かります。この自分の本性が思考ではないということを深く理解したからなのでしょう。

思考には実体がありませんが、実体があると思い込むことはできるのです。つまり思い込むことには制限がないのですから、思考の中では無敵です。

思考は動物にもちゃんとありますが、私たち人間のマインドのような複雑なものではありません。

これは私の勝手な考えなのですが、もしも思考というお客がやって来なければ、いつまでたっても私たちの実体である意識は、眠ったままだったろうと思うのです。

意識が目覚めるために思考を利用したのです。意識は動物の中では未だに目覚めることなく眠ったままです。

人間の脳の発達に伴って、複雑な思考を取り込むことができるようになったおかげで、一人称の自分という思考を作り出すことに成功したのです。

この時、少しばかりの意識が目覚めかけたのですね。それが私たち人間が置かれている状況なのです。