二種類のチャレンジ

もし自然に逆らったら

あなたの自我は強まるだろう

それがチャレンジというものだ

人々が挑戦を好むのはそのせいだ

挑戦のない人生は退屈なものになってしまう

自我が空腹を感じるからだ

自我は食べ物を必要とする

挑戦がその食べ物を供給する

そこで人々は挑戦を求める

by osho

自分のことをチャレンジャーだとは思っていない人であれ、誰のマインドにもチャレンジャーの部分があるのです。

だから何もせずにいると、チャレンジャーは退屈して不満を感じるのです。チャレンジするものを必死で探すことになるわけです。

それを別の言葉で言えば、闘うということにもなるし、我慢する、頑張る、そして結果を出すということです。

こうしたことのすべてが自我を強化することになるのです。ここで注意しなければいけないのは、チャレンジと思われるものには二種類あるということ。

一つは、ここで書いているように自我の餌となるチャレンジであり、もう一つのものは行為として起きるもの。

本人はそれをチャレンジとは感じていないかもしれないのですが、周囲から客観視すればチャレンジの一つとして映るのです。

行為として起きるのは、自我によるチャレンジと違って、結果を求めてはいないのです。行為そのものが目的なのです。

この二つのどちらに重きを置いて生きるのか、全く異なる人生になることは間違いないですね。