観照は難しい

観照し始めてごらん。通りを歩くとき、観照者になるのだ。身体が歩いているのを見守ってみなさい。もっとも内なる核心から、ただ見守り、観照し、観察する。突如として、あなたは自由の感覚を手にするだろう。

by osho

もうこれまでに一体どれだけ↑このことを書いてきたことか。要するに、究極的には「観照」しかないと分かっているからなんですが…。

自分が1番これが続かないのを知っているので、自分自身に言い続けているようなものなんですね。

かつて猛烈に瞑想をしていた時期があって、その頃自分がいなくなる体験をしたことで勝手に瞑想に結果を求めるようになってしまったのです。

そうなったら、目的をもって瞑想をするというまったく意味のない状態になってしまったんですね。

それが嫌で、結局その後瞑想をすることをやめてしまったのです。そして、残ったのがこの観照という方法なのです。

が、瞑想よりも続けることが難しいのです。瞑想は、さあ瞑想しようと決意して実行すればいいのですが、観照はいつでもどこでも手軽にできる反面、続かない。

どうしても続かないのです。1日のうち何度も何度も思い出しては観照に戻るのですが、またすぐに忘れてしまいます。

今年も大それたことは考えずに、自分のままに観照し続けるように心がけたいなと思っています。