マインドは投映し放題

何の観念も持たずに探求するがいい–。それが仏陀のメッセージだ。見るがいい、あなたの目をきれいに掃除して、見るがいい。特に何かを探すのではなく、ただ見るのだ。事物に、事物のあるがままの姿に、純粋に見入りなさい。目は清く、純粋でなければならない、さもなければそれは投映しかねない。

by osho

いや投映するのは確実なのです。私たちの目には幾重もの色眼鏡がかけられていると思った方がいいのです。

その色眼鏡も、ただ何かの色に染まって見えるだけではなく、自分のマインドの都合のいいように事物を映し出すのです。

そして困ったことに、私たちはそれをいつでも信じてしまうのです。自分の目は確かだと思いたいのだろうけれど、とんだ見当違いなのです。

投映せずに周囲を見回すことがいかに困難なことか。まずは、そのことを深く理解することです。

投映のメカニズムはなかなか複雑ですが、分かりやすい事例を一つでも思い出せれば納得できるはずです。

たとえば、うちの子が1番可愛いと心底思っている親が時々いますが、本人にはそう見えてしまうのですから仕方ありません。

けれども、他人からみれば親の欲目だというのは明らかです。こうした可愛らしい投映ならいいのですが、そうでもない場合がほとんどです。

投映せずに見るためには、思考を介在させないことです。それ以外にはありません。瞑想状態のまま、目を見開く練習をするといいかもしれません。