普段セッションやこのブログなどで「マインド」という言葉を当たり前のように使っているのですが、日本語では「心」というしかないのでしょうか?
ただ「心」と言ってしまうと、ハートのことも表現できる言葉なので、きっと日本語にはマインドに該当するちょうど良い言葉がないのでしょうね。
私なりにマインドという言葉を定義するとしたら、以下のようになると思います。『ひとまとまりの個人として存続するための仕組み』という感じです。
マインドという仕組みが活動することによって、私たちは自分という個人が生きているという錯覚をし続けることができるのです。
実際マインドはどのようにしてそれを実現しているのかというと、第一に挙げられるのが、「満たされない」という状態を維持するということ。
満たされないでいる限り、自分を満たそうとしてその目的に向かって「ひとまとまり」になっていることができるのです。
満たされないでいれば、未来に意味ができるのです。未来を利用して満たされようとする欲望を持つことで、個人は生き続けることができるのです。
つまりは、私たちが個人(マインド)として生きている限りは、決して満たされることはないということです。残念ですが…。
逆に言えば、欲望を捨てて、未来を無意味なものにし、現在に完全に満たされるなら、自動的にマインド(自我)は不要となってしまうということです。
それが仏陀になるということですね。