禁欲と非暴力

インドの政治家であり、非暴力運動の指導者として知られているマハトマ・ガンジーという人がいましたね。

きっと多くの人にとっては、尊敬すべき人の一人として想起されるのかもしれませんが、私は個人的には苦手なのです。

勿論お会いしたことも話したこともないので、本当のところは分からないのですが、印象としてはどうも自分のマインドを理想的な方向へ持って行こうとしていたように感じるのです。

美味しいものを食べたいと思うことや、性的な欲望や、怒りのような暴力的な感情を認めたくないのでしょう。

私はこのようなある意味理想主義は防衛の一つでしかないと思えるのです。いい悪いは別として、あるがままの自分のマインドをまずは丸ごと認めることでしか、防衛を小さくしていく方法はないのです。

自分を理想方向へと強いるなら、その逆の方向へと動こうとするマインドが作られるということを知ることです。

自我の防衛が小さくなれば、性的エネルギーは愛のエネルギーへと浄化できるだろうし、怒りのエネルギーは慈悲のエネルギーへと浄化するのです。

抑圧された欲望は必ず何らかの形で報復してきますし、自分を強いること自体が自分への一種の暴力ではないかと感じますね。