社会性と反社会性

こうあるべきだとか、こうすべきといったいわゆる「ベキ論」の中で生きている人は、それが正しさを利用した防衛だと気付かないのです。

正しいことは良いことだと思い込んでいるのですが、それで幸せになったり満たされることはないと知る必要があります。

それがどれほど正しいことだとしても、防衛である限りは必ずや自己犠牲が付きまとい、その結果は不自由で不満な人生がやってくるのです。

防衛というのは一瞬の安心を得るために、正直な自分を騙してみたり、あらぬ方向に強いてみたりすることで、反発を生み出すのです。

その結果、マインドの中が社会性の部分と反社会性の部分に分裂してしまうのです。その反社会性の部分がうつ症状を引き起こしたりするわけです。

防衛による一瞬の安心感を求めて大切な人生をつまらないものにしないためにも、マインドのカラクリを理解することです。

闇の深い自我こそ、こうあるべきとかこうすべきという正しさの中で過ごすのですが、闇が浅くなった自我はしたいかしたくないかをベースに生きるようになるのです。

そして最終的には、自我の消滅とともにそのどちらでもなくなるのです。そうなると、ある種の受動的な生き方になっていくかもしれませんね。