瞑想はある人にとっては気持ちいい体験と感じるかもしれないし、またある人にとっては不安や恐怖を感じる体験となる場合もあるでしょう。
それくらい人によって感じ方が様々なのですが、その違いというのはどこからやってくるのかを考えたことがあるのです。
以前、セッションルームで瞑想会なるものを開いていたことがあったのですが、あるクライアントさんがその会にお友達を連れてきて下さったのです。
私はそのお友達の方とは面識がなかったので、でもご本人が参加してみようという気になったから来たのだろうから大丈夫だろうと安易に考えていたのです。
みんなで一斉に瞑想を始めて数分が経った時に、その方が急に立ち上がって玄関の方に出て行かれたので、トイレに行ったのだろうくらいに思っていました。
しばらくして、その人は部屋に戻ってきて、確か20分〜30分くらいで瞑想を終えたのですが、その人が言うにはトイレに行ったのではなく、帰ろうと思って部屋を出たそうなのです。
たまたま玄関の鍵を開けられなかったために、すごすごと部屋に戻ってきたらしいのです。その人にとっては、そのくらい瞑想が恐ろしいものに感じられたのです。
このまま瞑想していたら自分がどうにかなってしまいそうな気がしたらしいのです。つまり自我にとっては、ある意味命が危ないレベルの危機感を感じるのでしょう。
私はこうした自我の反応がとても興味深いのです。私自身の中にも、瞑想を怖がっているマインドの部分が確かにあるのです。
それが面白くて瞑想をしてしまうと言う面も実はあります。何にせよ、自我が強く反応することには、黙っていられないのです。
もしも仮に100時間ぶっ通しで瞑想をし続けたら、私の自我はどうなるのか考えるとちょっとワクワクしますが、実際にそんなことをするつもりは本当のところありません。だってこの私こそが自我なんだもん。