意識的であり続ける

もしも私たちが充分に意識的であるとするなら、その瞬間に激怒するということはできないのです。

このことは怒りという感情に特化したことではなくて、どんな感情であれ意識的でありながらその感情に丸呑みされてしまうことはないのです。

ただし意識的である時には感情を味わえないということではないのです。その反対に、意識的である方がより感情を感じられるはずなのです。

なぜなら、意識的である時には思考による偏向がなされないので、中立に感情をあるがままに感じることができるからです。

意識的である時には、次々とやってくる思考を見ていることもできるのです。だからこそ思考にはまり込んでしまうことも無くなります。

歳を重ねていくと、次第に死が身近なものとなってきますが、私が知る限り意識的な老人というのをあまり見たことがありません。

だから多くの人は死に直面した時に、きっと無意識状態になってしまうのでしょうね。これはとても残念なことです。

なぜなら死にゆくプロセスを見続けていることができないのですから。死に際して、もしも充分に意識的でいられるなら、きっと非常に興味深い体験ができるでしょうね。

もうそろそろその準備をしておくためにも、意識的であることを継続できるように練習しておく必要がありそうです。