とても古い話しになってしまうのですが、私が若い頃に山口百恵という歌手がいて、ちょうど私が大学を卒業した年に、彼女は電撃引退したのでした。
したがって、このブログを読んでいるみなさんの多くはリアルタイムで彼女の唄を聴いたことがないかもしれませんね。
その頃は、というか今でもそうかもしれませんが、アイドルの女の子は笑顔で踊りながら歌うのが常識だったのですが、彼女は微動だにせずに、そして笑顔一つ見せずに歌うという異色のアイドルだったのです。
笑顔を見せないだけでなく、何と言うか物憂げなというのか、悲しみを抑えたようなそんな表情で歌う不思議な魅力があったので、「山口百恵は菩薩である。」と誰かが評したのでしょう。
今日はこれが書きたいのではなくて、「菩薩」についていろいろ思いをめぐらしていたら、昔ファンだった彼女のことを思い出したのでした。
子供のころから、菩薩とか如来という言葉を何となく知ってはいたものの、あらゆる宗教とは縁遠くして育ったために、ほとんど興味もなく今まで過ごしてきました。
ちなみに仏教では、菩薩というのは、悟りを目指して修行しているものをさし、如来とはすでに悟りに達したものを指すらしいです。
宗教がらみでたった一つ覚えているのが、子供のころに母親が「南無妙法蓮華経」というお題目でお経をあげていたのを身近で聞いていたことです。
それは今思えば、日蓮宗の「法華経」というお経だったわけですが、私の親は一切そうしたことを教えてくれようとしなかったので、私もただそばで聞いていたという記憶しかないのです。
学校で空海とか最澄というお坊さんについて習ったことはあったかもしれませんが、何せ神と仏の違いすら知らない状態ですから、無宗教というのもここまでくるとすごいと思います。
私は今も無宗教主義者であり、世界中にあるあらゆる宗教やその教えには、基本的に大した興味を持っていませんし、実際ほとんど無知に近い状態です。
でもきっと、セッションでお話ししたりこのブログで書いていることは、人によっては宗教臭い匂いがすると思われてしまうかもしれませんね。
それでも、何でもいいのです。私はただ自分が気に入ったことを検証しながら、人生というストーリーから断固として自由になると個人的に決めただけですので。ただ、気づいたことをこれからも書いていくつもりです。