宝石のような質問

子供の頃というのは、日々沢山の質問を抱えて生きています。無邪気な子供ほど、ありとあらゆることを疑問に感じるままに大人に質問をし続けますね。

それは時として、大人、とくに身近な両親にとってはうっとうしいと思わずにはいられなくなることもあるかもしれません。

しかしそれも一定の期間だけのことで、無邪気であり続けることは誰にとっても難しいことであるために、そのうちには質問をしなくなっていくものです。

ある子供は、分からないことは自分で調べようとするようになるかもしれませんし、またある子供は何かに疑問を持つことはいけないことだと思い込むようになるかもしれません。

いずれにしても、子供から大人に成長していくに連れて、人生を進めていくことにエネルギーの大半を向けていくようになるのです。

そして、最も本質的で一度は誰もが疑問を持っていた、ある大切な質問を忘れてしまうようになるのです。

その質問とは、「自分とは一体何なのだろうか?」ということです。残念なことに、こんなことを疑問に感じている暇はないくらいに、人生という競争の中に埋め込まれてしまうのです。

ところが、人生のどの辺りでかは分かりませんが、またその宝物のような質問のことを思い出すときがやってくるものです。

そして、自分は昔その質問を持っていたということを思い出すのです。ここで、以前のようにその質問を無視してしまうのか、それともそこに意識を向けるようになるのかは、きっと神の恩寵によるのかもしれません。

もしも、「本当の私とは何だろう?」ということを問い続けることになるとしたら、それはとても恵まれた人生であると言えると思います。

なぜなら、この質問を無視したままで本当の幸福を知ることは不可能だからです。自分のことを、他人が見るような一個人であると思い込んだままの人生ほど、辛いことはありません。

もしも、あなたの中でこの質問のことが気になりだしたら、千年に一度のチャンスがやってきていると思って間違いありません。それを無駄にしないで欲しいと思うのです。

そして、どんな方法でもいいので自己探求を始める決意をしてください。最初のうちは、何をどうすれば探求できるのかも分からずにいることになるかもしれません。

それでも、まずそれを始めたことが途方もない幸運だということが今に分かるときが来ると信じることです。そして、必ず何らかの気づきがやってくるはずです。