時間の不思議

こうして毎日ブログを書いていると、自分のノリのいい時とそうでないときがあって、今日は何だかあまり書きたいと思うことが浮かばないなあという日は、無理せずにそのときに頭に浮かんだことを適当に書いています。

今日はまさしくそんな日です。こういう日は、さすがに書くことが多少億劫に感じられるのですが、それでも書きながらも自分に意識を向ける練習ができるので、こうして書いています。

そういえば、この億劫という単語の由来ですが、「劫」という字の意味はサンスクリット語のカルバから来ているらしいですね。

カルパとは、古代インドにおいての最も長い時間の単位を意味するらしいです。それに、億がつくのですから、ほとんど無限とも言えるくらいに長い時間に感じることの例えとして、億劫ということになったのでしょうね。

嬉しいことはあっという間に終わってしまいますが、面倒なこと、気が進まないこと、あるいは苦しんでいるときというのは、本当に長く感じてしまうものです。

人の一生を約80年と考えて、それを長いとみるのかそれとも短いとみるかは、死ぬ直前になってみないと本当のところは分からないかもしれないですね。

かつて、友人のお婆さんが臨終の床で、自分の人生を「夢のようにあっという間だった」と言ったということを聞いたことがありました。

本当に時間というものは不思議なものですね。私も自分の人生を顧みたときに、いろいろなことがあったなあと思う反面、一瞬にして今に到達したような気もするのです。

今に意識を向け続けていると、過去とのつながりが消えていき、本当は今しかないということが分かります。今とは、時間の範疇ではないもの、時間を越えたもののことです。

そうした永遠から見れば、80年であれ億劫(億カルパ)のような気が遠くなるような長い時間でさえ、何の違いもない、あっという間のことなのでしょうね。