当たり前のことですが、私たちは誰も「今」から逃れることはできません。過去や未来に一秒たりとも生きることはできないのですから。
それほど近いところにあるものなのに、私たちは「今」のことをほとんど知らないと言ってもいいのかもしれません。
そもそも、「今」とは一体何なのでしょうか?このように、明確に「今」という言葉を使わないにしても、ずっと昔からここにあるのは何?という思いを持っていたように記憶しています。
ある時突然、これは一体何なんだ?と感じることもありました。それは実は苛立ちのようなものだったかもしれません。
なぜなら、「今」というものの正体が分からないままに、丸ごとどんなときでもそれに包囲されていて、それ以外どうしようもないという感覚があったからです。
「今」の音を聞こうと耳を澄ましてみると、そこにはありえないくらいの途方もない静寂があると分かります。「今」とは静寂であるとも言えるくらいに。
じっとして、耳を傾け続けていると、「今」が全く変化せずに提供されていることに気づくことができます。自分は時間の流れの中にいて、絶えず押し流されていながらも、全く微動だにしない「今」を感じてもいるわけです。
子供の頃にじっとして動かないでいることがよくあった、あのクセの正体は、きっと「今」を感じていたくて、その永遠性の神秘をどこかで思い出そうとしていたのかもしれません。
「今」に注意を向け続けていると、あらゆる精神活動が停止するようで、なんとも不思議な感覚がやってきます。その静寂の中で、自分自身も静寂と一体になれるような。
そして、ここから先は本当に最近気が付いたことなのですが、「今」こそが本当の本当の真実の自分の姿なのだということ。
そういうことだったんですね、一体全体これは何なんだ?という質問は、実は最も身近で最も分かっていたこと、つまり自らが自らに対してお前は誰だと問うていたわけです。
このままで終わりたくないですね。この先の気づきがあるはずだと誰かが言っているような気がします。