傷つきたくないという思いが傷をつける

以前どこかで書いたことがあったと思うのですが、小学生の頃に塾に通っていたときのことです。確か夜9時に塾が終わって帰る途中、何かが自分の後ろから影のようについてくる気がして、怖くなったことがありました。

通りには人影もまったくなくて、怖くてどうしようもなくなったのですが、だからといって立ち止まって振り向いて確かめる勇気が出ません。

結局、意を決して全速力で走って逃げ出したのですが、そのときの恐ろしさといったらなく、恐怖で足の裏が地面を蹴っている感覚がなくなったくらいです。

後で思い返したときに気づいたのですが、逃げれば逃げるほど恐怖は大きく膨らむものなんだということでした。

私たちは恐怖や罪悪感、そしてそれ以外のあらゆるネガティブな感情から逃げるようにプログラムされています。その根っこは生存するための生物としての本能ですね。

しかし、私たち人間だけがその本能にかこつけて、それ以上の心理的プログラムを持ってしまったのです。それは必要以上に痛みや苦しみから逃げようとするプログラムです。

残念なことに、そのプログラムによって自分を守れるのはほんの一過性のことであって、少し長い目で見れば、逃げれば相手は必ず自分を目掛けて追ってくるものです。

シンプルに表現すれば、自己防衛ほど自分を痛めつけるものはないということです。人生という戦場で繰り返し自己防衛した経験によって、私たちはこうしたことを実は自覚しています。

もう自分を過度に守るのはよそうと思うのですが、やっぱり怖くてその決意は長続きしないのです。無防備になって愛に心を開こうとしても、なかなか難しいのです。

それは、傷つきたくないという強烈な思いを持っているからです。そして、これこそが、自分を傷つけることになるという皮肉をいつも忘れてしまうのです。

傷つくことを恐れない人こそ、本当に強い人だと誰もが思うのですが、本当のところはその人は傷つかないという結果を知っている人なのです。

荒れ狂う海の上で今にも沈没しそうな船にしがみついている人が一番恐怖を味わっているのです。思い切って海の中に飛び込んだ人だけが、そこには平安があったことを知るのです。