思考や感情と自己を同一視する罠

今に生きるということが大切なんだということを人生のどこかで聞くようになって、もう随分と時が経ったように記憶しています。

そして勿論いまだにそうした言葉を聴くことがあるし、私自身もそういった類のことを人に話すことがあります。

けれども、よく考えて見るまでもなく、私たちは誰しも当然今に生きているのです。過去や未来に生きている人がいたら、出てきて教えて欲しいです。

私たちは思考の中で、過去を思い出すことや未来を予測することがあります。というよりも、思考のほとんどは過去か未来にまつわることです。

しかし、そうした思考が起きるのはまさしく今この瞬間なわけですから、誰もが今以外のところで生きられるはずはありません。

ただし、そういった過去や未来にまつわる内容の思考そのものと、自分自身を同一視してしまうとどうなるでしょうか。

自分は今この瞬間にその思考に取り込まれている、という事実を意識できなくなり、代わりにその思考の中味である過去か未来へと意識が飛んでしまうのです。

その状態こそが、今に生きていないという言い方で表現されることなわけです。この状態になってしまう本当の理由、そしてその原動力は自己防衛です。

私たちの思考の使い道のほとんどが自己防衛であるということに気づくことです。自己防衛するためには、過去の経験を利用しなければなりません。

だからこそ、思考とは過去がベースになっているというわけです。いやいや、今この瞬間に目の前にいる人の理不尽さを考えているのは過去ではないと言うかもしれません。

しかし、その理不尽さをそれと理解するためには必ず過去が必要になるのです。そして未来に関する思考も、全面的に過去がベースになっています。

思考を悪者にする必要はまったくありません。思考を止めて、ただ感じなさいという必要も私はないと思っています。

しかし、自分の中に立ち上がってくる思考やそれが作り出す感情と自分を同一視していることに気づき、そしてその同一視こそをやめる必要があるということです。

感情は思考がなければ存続できませんし、思考は意識の上で起きては消えていくものです。そして、本当の自分とはその意識そのものなのですね。

意識に個別性はありませんので、もしも自分は個人としての意識を持っていると感じるのなら、それは思考と意識を混同していることになります。

思考や感情のような生まれては去っていくような一過性のものを自分自身と勘違いしてしまうこそが、あらゆる苦悩の根源なのです。