死を覚悟して生きる

今日のブログは、何だか分からないのですが題名だけがふと頭に浮かんだので、特別何を書こうという意思もなく書き始めています…。

最近よく思うことなのですが、生きることと死ぬことというのはちょうど50対50の割合で意識されているときに、うまく行くのかなと思うのです。

なぜなら、私たちの人生の本質とは、突き詰めて見れば分かることですが、死なずに生き続けることにあるからです。

つまり、常に死なないようにということが生きる上での大前提になっているのです。だから、死についてほとんど考えないというのは、自分を欺いていることになるのです。

死は誰がどんなにいやがったところで、厳然と誰のところにも確実にやってくるのです。それもいつやってくるかは予想もできないというやり方で…。

これほど身近なことをなるべく取り上げないようにするというのは一体どういうことなのでしょうか?それは、敵国が攻めてきてもどこかの国が護ってくれるから、そんなこと考えなくていいと言っているのと同じことです。

生死というのは、ちょうどコインの裏表くらいに対をなしている、互いに切っても切れないものなのです。もう、ごまかす必要はありません。

私たちの苦悩の根本は死にたくないという欲望です。なぜなら、必ず死が迎えに来るという事実を知っているからです。

この葛藤をエゴは餌にして、人生を翻弄させ続けているとも言えます。したがって、誰もが死を覚悟するということを一度きっちりとやることができるなら、人生の苦悩は大幅に減ってしまうはずなのです。

死を覚悟するのに最も都合のいいこととは、本当の自己の存在は決して死なないということに気づくことしかありません。

もしも徹底的にそのことに気づくことができたなら、死を覚悟するというよりも、死を前提として生を生きるということができるのではないかと思うのです。