昨日、空いた時間に何とはなしに自分以外の人がいるって何だろうと思っていたら、ふとある考えが浮かんできたのです。
そのことについて、書いてみようと思うのですが、文章表現能力の問題でまったく意味不明になるか、あるいは当たり前過ぎる内容になってしまうかもしれません。
それでも誤解を恐れずにチャレンジしてみようと思います。突然ですが、輪廻転生があるとしたら、過去生における自分という存在がいたわけです。
その過去生の自分と今の自分とは、DNAも違えば育った環境も違うし、何一つ共通であることはないはずなのに、それでも自分だとどうして言えるのか。
沢山の過去生があって、沢山のそれぞれの人生での自分がいて、互いに時間がずれているために同時には生きていなかったということです。
だとしたら、なぜ今同時に生きている自分以外の70億の人たちだけは、他人だということが言えるのでしょうか?
いや、言えないのではないかと思うのです。なぜなら、今生きている他人と自分の違いとは、やはりDNAや育った環境が違うという点で、過去生の自分と同じわけですから。
誰かと自分の違いとは、肉体、つまりDNAの違いと育った環境の違いによる体験の違いであって、意識そのものにはバリエーションなどないと思うのです。
意識そのものに一体どんな違いがあるというのでしょうか?意識とは何かということがまったく謎に包まれている以上、本当のことはわかりませんが、それでも直感的に意識は意識でしかないと感じます。
ただ、その意識が肉体とその体験というバリエーションと手を繋いだときに、違う人間だということになるだけなのではないかと。
自分のことを身体ではなく、意識だといつも見ているためにこのような感覚がやってきたのではないかと思います。
意識とは、思考や感情ではなく、そうしたものが現れては消えていく土台なのです。その土台である意識は、きっと70億人を串刺しにして貫いているものなんだろうと。
誰もが同じ自分という意識なのだということですね。