私はセラピストの仕事をするようになって、私の個人的な好みを別にしても、過去世を見たいという人向けに催眠療法を沢山やってきました。
その結果、人には現在の人生とは明らかに異なる人生、それも多くは過去における人生の記憶があるということが分かりました。
その記憶が本当のものだということを証明することはできないのですが、私自身の過去世の記憶も含めて、なんらかの過去の人生の記憶というものがあるということは間違いありません。
しかし、そのことと輪廻転生ということとは必ずしも同じものであるということにはならないというのが、私の個人的な見解です。
というのも、輪廻転生のベースには、魂というものの存在を認めなければならないからです。つまり、ある人が死んだ後、その人の魂が肉体から離れて、また別の肉体に宿るということを繰り返していくのが輪廻なわけです。
しかし、魂の定義の詳細は分かりませんが、個であることは確かです。この魂とあの魂という具合に、個別性があるのですから。
私の感覚では、純粋な意識が、とある肉体とそれを同一視することで、「私」という想念が作られるように思っているので、肉体が消滅すれば自ずと「私」という個別性も消えていくはずです。
肉体がなくなった後の個別性とはどんな意味があるのでしょうか?私には魂の存在する余地を考えることができないのです。
仮に、私の肉体が滅んだ後に、私という個別性が残っているとしても、私は身体がなければ自己防衛を続ける理由がまったくなくなるので、完全なる無防備の状態になれるはずです。
そうなると、自動的にエゴは消えうせて愛の状態に戻るため、個としての想念は完全に消え去ることになるはずです。(もっとも、肉体の消滅からエゴの消滅まで、若干の時間がかかることはあるかもしれませんが。)
だとしたら、過去世の記憶とは一体なんだろうかということになるのですが、私は個人的には次のように考えています。
この宇宙のすべてのシナリオの源には、あらゆる鉱物、植物、動物、そして過去から現在に至るあらゆる生の経験の記憶が詰まっています。
そのシナリオの一部として、ある人が生まれて人生がスタートするときに、膨大な生の記憶のいくつかがセットされるのではないかと。
それらの生の記憶がプリセットされると、新たな人生において何らかの影響を与えるように働くことになるのだろうと思うのです。
歴史上の有名な人物の生まれ変わりだという人が、同時に複数いることがあったりするのも、このように考えれば説明がつきます。
勿論、所詮は私の理性が考えていることなので、真実とは程遠いのは間違いないですが、いろいろな解釈を持っていてもいいのかなと思っています。
とにかく、私の肉体が消滅したら、この私にまつわるあらゆる一切合財が完全に消滅すると思いたいのです。魂はおろか、ほんの少しでも何かが残存するとは決して思いたくありません。