70億個の視点

ある日ある時、神の恩寵がやってきて、自分の本質である全体性に気づいたとしても、私たちは自分の視点からものを見ることをやめることはできません。

それが終わりを告げるのは、当り前のことですが肉体の死がやってきたときだけです。それまでは、今まで通りの人生が続き、ほかの誰かの視点を使って世界を見ることはできないのです。

けれども、本質の自己はあらゆる人々の視点からこの世界を見ているということもわかっています。ここにこそ、個別性という性質が持つ矛盾を見出すことができますね。

自分が個人だと思っている思考の中においては、自分以外を客観的にしか捉えることができないように仕組まれているわけです。その性質自体が個別性というものなのですから。

仮に、Aさんがもう一人いても私自身が矛盾することはありません。不思議な話しではあるけれど、私にとってそれが不可能ではないということです。

けれども、私がもう一人いるとしたら、それは不可能であると感じるのです。なぜなら、私と同じ人物が向う側にいたとしても、そのもう一人の視点から見ることが不可能である以上、それを私だと認めることができないからです。

しかしながら、私が何人いたところで、あなたにとっては矛盾することはないはずです。それくらい、個人としての私という認識には真実を欠く性質が与えられているということです。

個人としていながらにして、同時に全体性でもあるということは、私の中で少しも矛盾することではありません。これは本当に摩訶不思議なことだと常々驚いています。

まったくもって、うまくできているものだと感心せずにはいられません。一体誰がこんなことを考え付いたのか、この世界は本当に不思議に満ち溢れています。

もしも、今回のあなたの人生が「なんだかな~」と感じるようなものであったとしても、それはそれで何も問題ではありません。あなたとは、あなたの本質が一瞬だけあなたの肉体から世界を見ている体験を指しているのです。

また別の瞬間には、この私として私の人生を生きているのです。私についても、次の瞬間にはあなたの人生を生きていると感じているはずです。

互いに、時々視点を交換することができたら、このことが本当だったと理解できるのですけれどね。そういう映画やドラマもあるようですけれど。

繰り返しになりますが、本当のあなたは少なくともこの地球上で70億人分の視点を同時に経験しているのです。すべてがあなたの本質の中で起きている物語なのですから。