人生は楽しむためにある

子供の頃に、家族全員でトランプをやることがあったのですが、それはもう楽しい時間でしたね。大抵は父親がどこかから仕入れてきたトランプゲームをするのですが、熱中したものです。

ところが、あれほどみんなで大いに盛り上がっていたのに、「そろそろ終わりにしよう」と誰かが言い、そうだねということであっさり終わってしまうのです。

自分が、「もう少しやろうよ」といくら言ったところでそこできっぱりと終ってしまうのでした。勿論、今考えれば親は明日朝早く起きなければとか、今日やり残した家事仕事などをやらねばと考えていたのだろうと分かるのです。

けれども、その時の自分にはなぜそれほどあっけなく辞めてしまえるのか、不思議でなりませんでした。どうして、これほど楽しいことをもっともっと続けようとしないのか、疑問だったのです。

大人になると、ゲーム以外にもいろいろな関心ごとや心配事があって、子供ほどの集中ができなくなるのでしょうね。でも、何だかそれってつまらない人生になってしまう気がしませんか?

学生のころに、曲を作って録音するという趣味があったのですが、あるとき音を何度も重ねて録音できる機材を手に入れたときに、夢中で録音をし続けたことがありました。

夕食を食べながらも作業を継続して、気が付いたときには夜が明けていたということがあったのです。それくらい、興味のあることには夢中になれるときがあったのですね。

それが社会人になると、明日の体調の心配をして、なるべく睡眠時間を取るようにと考えるようになって、規則正しい生活へと変化してしまいました。

勿論、それは責任ある社会人として心がけなければならないことではあるのですが、何かこう味気ないような気持ちにもなるのです。

節度を守った毎日を送ることは、健康面においても大切なことですが、それだけではなくて、人生はやっぱり楽しまなければつまらないと思うのです。

たまには、子供心を思い出して、自分がやりたいと思うことを時間を忘れて存分に楽しむことも大切ですね。人生を深刻なものととらえるのも、楽しむためのものととらえるのも、あなた次第ですね。