すべての自分が嫌いな人に告ぐ

自分自身のことを嫌いと言って、はばからない人がいます。そんな人に、自分のどこか嫌いなのかと聞いてみると、大抵が返答に困ったりしています。

最後には、何が嫌いというのではなく、全部が嫌いだということになるのです。それを、分かりやすい言葉で表現すれば、自分の存在を嫌っているということなのです。

それは、本当は好き嫌いということではなく、存在否定をしているということなのですね。存在否定というと、何だか固い表現ですが、分かりやすく言えば自分が自分のままで、ここにいていいとは思っていないということです。

本来、存在というものは評価の対象にはなり得ません。したがって、存在を否定するということは不可能なことなのですが、そこを無理やりに否定することで最低の評価を与えているわけです。

初めて人が、自分の存在否定をするのは、100%幼いときです。そして、存在否定をしながら人生を続けていくのは到底耐えられません。そのために、存在否定していることを隠そうとします。

そして、自分という存在は価値があるのだということを証明しようと躍起になる人生がスタートするのです。それは、もう毎日が頑張って人からの高評価を得ようとする人生となるのです。

自分本来の好みや正直な自己主張などを隠しながら、周りの人の期待に応えられるようにと努力するのですから、自己犠牲を気づかぬうちに積み上げていくことになるのです。

その蓄積された自己犠牲は、必ずや怒りという感情へと変貌して心の中にたまり続けるのです。その怒りは、いつか解放されようとして本人が怒るチャンスを狙っているのです。

もしもあなたが、自分のことを嫌いと感じているのなら、それはあなたが自分自身に関心を持っている証拠です。自分に興味がなければ、嫌うことすらしないはずだからです。

嫌いは、反転させればあっという間に好きに変化することができます。だから、好きでも嫌いでもどちらでも同じことなのです。本当に大切なことは、どんな自分であろうとも、それを丸ごと否定せずに見続ける勇気を持つことです。

もしもそれができたなら、勇気などいらなかったということにも気づくことになります。あなたという人物は、本当のあなたではありません。かりそめの姿でしかないのですから。