私たちの本質について

今日は、言葉にするのがとても難しい私たちの本質について書いてみます。「それ」は、言葉にしようとしなければ、何の努力も必要とせずに体感することができます。

でも本当は体感ではありません、。体感とは、何かを体感する自分がいるということが前提となってしまうので、そうではありません。敢えて言えば、体感そのものになるということ。

そして、あらゆるものが「それ」であって、「それ」ではないということでもあるのです。「それ」は、この宇宙に満ち満ちているとも言えるし、この宇宙を包含しているとも言えます。

本当に在るのは、「それ」だけなのですが、私たちは「それ」の上に表出するものを「存在」と感じるようにできているのです。だから、存在とは単なる表出に違いありません。

心静かにして目を閉じるだけで、「それ」そのものになることができます。でも本当は、心静かにする必要もないし、目を閉じる必要すらありません。なぜなら、いつどんなときも、「それ」そのものだからです。

私たちは、「それ」ではなかった試しがありません。ほんの一瞬たりとも、「それ」から離れたこともありません。「それ」は表出したすべての存在と密着していながら、存在自体ではないのです。

ヒックス粒子の仮説が証明されたそう?ですが、ビッグバンの直後に光の速度で動き回っていた粒子が、そのヒックス粒子とぶつかることで、質量が生まれたらしいですね。

存在する粒子に質量がなかったならば、勿論私たち人間は存在していません。すごい発見ですが、そうしたことのすべてが「それ」の上で起きたことです。

私たちの本質は、勿論粒子でもなければ時空でもありません。宇宙の物語が起きる舞台です。なんてことを、ヒックス教授にお話ししても仕方のないことかもしれませんね。