今乗っている小さなクルマの前の前のクルマは、IT関連のアメリカのベンチャー企業で働いていた頃、つまり超羽振りのいい頃に買った2シーターのスポーツ車だったのです。
ボクシングの選手がチャンピオンになって、あこがれのスーパーカーを買ってご満悦の図ってあるじゃないですか。多少レベルは違いますが、あんな感じを想像していただければ察しがつくと思います。
そのクルマをマンションの地下駐車場に停めようとして、不用意にセメントむき出しの壁にぶつけてしまったことがあったのです。
その瞬間、夢であって欲しいと咄嗟に思ったし、できることなら10秒でいいから時間を巻き戻したいと思ったのを覚えています。
やっちまったな、っていうあの感覚ですね。こういう体験というのは、できることならば体験したくないと思うのは当り前です。無駄な出費と大切にしているものに傷をつけてしまったという、何ともいやな感じが残るのですから。
けれども、今そのことをいくら詳細に思い出してみても、別にどうということはないのです。つまり、あの当時としてはいやな体験だったものが、今では何とも感じなくなっているのです。
時間が癒してくれると人はよく言いますが、まさにそれなのかもしれません。逆に、その体験をしたことで、その後別のクルマを傷つけてもあまり動じなくなったということがあるくらいです。
誰だって、経験したくないこと、体験しなくて済むものなら体験したくないと思うようなことはたくさんあります。大切な人を失うとか、会社が倒産して露頭に迷うとか、重篤な病気に罹るなどなど。
クルマをぶつけたことなど、吹っ飛んでしまうくらいのショックな体験というのは、人生にはいくらでもあるはずです。けれどもどんな体験をしようと、私たち人間の能力としてそのショックを癒す力を誰もが持っているように思うのです。
その能力を最大限使うためには、何かを体験したときにやってくる心のあらゆる反応をできるだけ自分に直面させてあげることなのです。逃げずに、すべてを無防備に見てあげること。
そうすれば、癒しは最短でやってくることになるはずです。