理想の自分像を取り下げる

もしも、あなたが理想の自分像というものを掲げているとしたら、そしてそれを強く欲しているとしたら、その分だけあなたは激しい自己否定に苛まれているはずです。

なぜなら、その理想像というのは自分が本当にそうなりたいと願っているものではなくて、それは誰からも否定されずにいられる自分になることで安心しようとしているだけだからです。

あなたは自分をトレードに出しているようなものなのです。頑張って、我慢して自分の自由を抑圧した見返りとして、理想の人物像を実現して安心しようとしているからです。

けれども、残念ながら誰からも否定されないような人物というのは、この世には存在しないのです。その目標に到達することは不可能なことなのですから、そこに救いはないのです。

あなたが作った理想の自分像とは、実のところ親や社会から押し付けられたものに過ぎません。あなたのオリジナリティは何も発揮されていないのです。

人間とは未熟で不完全な存在なので、もっとこういう自分に成長したいと願うのはごく自然なことなのですが、その思いが強くなり過ぎてしまうと、自己嫌悪の中でもがき苦しむことになるのです。

理想とのギャップを突きつけられて、現実の自分を呪うような気持ちになるかもしれませんが、その影で「自分の自由にさせろ!」と訴えている自分もいることを忘れてはなりません。

理想を目指す部分をマインドだとすれば、自由になりたいと訴えているのはハートだと表現できます。ハートは感じる部分であると昨日のブログで書きましたが、ハートは正直です。

一方、マインドは自己防衛の塊りなので、恐怖がその根底にあることを見抜いて下さい。あなたが掲げている自分の理想像をもう一度チェックしてみて下さい。

そして、それを一旦脇に置き、心の底から願っている本当の気持ちに気づいてあげることです。あなたは、毎日をただ自由に楽しみたいだけなのではないですか?

無防備な子供のように、でたらめ語の歌を歌い、ただの自分自身である無目的な今を生きたいと願っているのではないでしょうか?

マインドが求める目的や価値や意義といったものをすべて脇に置いて、子供のようにハートですべてを感じる瞬間を夢見ているのではないでしょうか?

素直になって、感じてみることですね。