瞑想とは観照すること

クライアントさんとのセッションの中で、時々瞑想の話題が上がることがあります。それは、大抵が瞑想には興味があるのだけれど、やり方が分からなくて…、というものです。

私自身、専門家について実践したこともないし、我流で気ままにやる程度なので、あまりいいアドバイスをすることができないのですが。

一つだけこれから始めるという方にお伝えできることは、瞑想は形式にあまり拘らない方がいいということです。瞑想というと、すぐに誰もが思いつく姿がありますね。

坐して、静かに目をつぶって無念無想を目指す?といったようなイメージが浮かんでくるかもしれません。けれども、そうした形を一度忘れていただいたほうが却っていいと思います。

もっともっと気軽にできるものだからです。実際、瞑想とは自分をひたすら観照することなのです。ただただ見るということです。

それだけでは、何だか物足りない感じがするかもしれませんが、本当にそれだけです。思考を無理に止めようとする必要もありません。

逆に、やってくる思考を自由に遊ばせて、ただそれを見守ることです。その思考をキャッチしてしまうと、思考に巻き込まれてしまいます。

傍観していればいいのです。とはいうものの、人生の長きにわたって思考(マインド)が主人となってしまっているために、ただ見守るというのはなかなか現実的には難しいことです。

また、街を歩いているときであろうと、信号待ちをしている時であろうと、いつでもどこでも瞑想は可能です。ただその瞬間の自分を見守るだけだからです。

最初は、身体に意識を向けるのが簡単かもしれません。そのうちに、思考や感情、あるいは気分といったものまで見守るようになればいいのです。

クルマを運転しているときに観照していると、周囲の状況によって気分がいろいろに変化していくのを見ててあげることができて、なかなか興味深いこともあります。

瞑想という言葉に抵抗を感じるなら、ただ見守るということを意識すればいいのです。うまくできたときには、日ごろいかに自分がマインドに乗っ取られた生活を送っているのか、びっくりするはずです。