所有欲は苦しみを生む

赤ちゃんは、丸裸で手には何も持たずに生まれてきますね。だから、私たちはこの人生で必要となるものを、せっせと手に入れなければならないのです。

手に入れたいという欲望は、自分のものにしたい、つまり所有したいという所有欲という形に進化します。誰もが持っている所有欲は、なかなか立派なものです。

そして、幸運か、努力の賜物かは別として、一度所有できたものは今度は奪われたくないという欲望を作り出します。したがって、物持ちになればなるほど、奪われたくないという恐れは大きくなるのです。

所有欲は、単なるモノだけに留まらず、人や形のない名誉などにも及んできますね。私も人並の所有欲があるのですが、年齢を重ねるごとにそれはありがたいことに、小さくなってきているのが分かります。

若いときというのは、とにかく欲しいものが目白押しであるばかりか、それを手に入れるだけの経済力もなかったりして、結構大変でした。

それが徐々に薄れてきてくれたのは幸運です。それと、所有欲とは裏腹に、私たちは大抵何も持たないことの清々しさについても知っています。

手ぶらで生まれてきて、手ぶらで死んでいくことを思うと、一体人生で何を頑張って生きているんだろうと不思議に思いませんか?

人生を長く生きてくればそれだけ、所有物が増える傾向にあるのかもしれませんが、私は何も持たない気持ちよさを体感したくて、私物はとても少量です。

死んだあとに家族が処分するのに困るようなものは、何一つ持っていないというのが実情です。自分が生きていた痕跡もすべて消えてしまったほうが、気持ちよく成仏できると思うのです。

持っていないということは、失うものがないということですから、それは不安を掻き立てられる心配がないのですから、心が自由なままでいられますね。

仮に、あなたが今所有欲のど真ん中にいるとしても、大丈夫。そのうち、所有するというのは自我の単なる概念に過ぎないということに気づくときがきっとくるはずですから。