溶けて境界がなくなる

気持ちのいい湯船にただのんびりと浸かって、ゆったりした夢心地を味わっていると、だれでも身体が溶けてしまいそうと感じるものです。

身体がお湯の中でふわっと広がって、身体の境界が曖昧になるというのか…。あるいは、何とも言えない眠気の中で、起きてるのか寝てるのかの境界をさまよっているような時にも、トロトロした感じになりますね。

あれも、身体がトロけるような感覚を味わっているのです。大好きな人に抱きしめられて、悦びや嬉しさの中で喘いでいるときには、身体だけでなく心さえも溶けていく感じがするものです。

つまり、私たちはあまりに気持ちがいい時や、悦びや嬉しさに溢れているときには、身も心も溶けて境界がなくなってしまうような感覚になるものだということです。

それは勿論一過性のものですが、もしもそれが永続的なものになったとしたら逆に困ってしまいますね。なぜなら、個としての自分の存在が曖昧になってしまうからです。

だからこそ、自我(エゴ)は自分の存続のために、私たちが苦しむ方向へと強制するのです。人生が苦しいものであると感じるのは、それが根本原因なのです。

苦悩すればするほど、恐怖から逃げようとすればするほど、自分の存在が疑いようのない明確なものとなることを、自我はわきまえているのです。

この社会はまさに自我が作り出したものだからこそ、あまりに自由気ままな人や本当に幸福そうな人は自我に敵対視され、場合によってはこの社会から抹殺されるかもしれないのです。

逆に、不幸を背負って辛く苦しい不遇の人生を生きてるような人には、世間からは同情が集まって、やさしく受け入れてもらえる可能性が高くなるのです。

こうした社会や世界の異常さに気づくことです。私たちは、根こそぎ自我の罠に毒されて、みんなで不幸合戦をして、ほんの少しの安心を得るために苦しんでいるのです。

自我はあなたのマインドを占領していますが、それは決してあなた自身ではありません。マインド(思考)を静かにさせてあげることです。

そして、あなたのオリジナルである、「自分の好きにさせて!」という声をハートで聞いてあげることです。これまで如何にこの叫び声を無視し続けてきたか、気づいてあげることです。

人生を苦しみで染めないためにも、心の奥の小さくて無邪気な声を聴いてあげることです。その声は、きっと自分への拘りなどに興味がなく、ただ全体へと溶けたがっているはずです。