立派を目指してはいけない

ふつうになりなさい。それは私の教えでもある。もしそれを教えと呼べるならだが–。というのも、今日に至るまで、教えは、あなたがたをどこかふつうでない目的に駆り立ててきたからだ。だが、覚醒した人に尋ねたら、彼らはつねにこう言ってきた。ただふつうでありなさい、と。

by osho

ふつうであるということは、極端ではないということです。両極端のど真ん中、これこそがふつうということの本当の意味なのです。

ところが、親や社会全体からはふつうから抜け出して、飛び抜けることこそが価値あることだと教え込まれるのです。

だから誰もが飛び抜けて優れたり、飛び抜けた成果を出せば立派な人物になれたと思ってしまうのです。

もしもそれを立派なことだと表現するのなら、立派を目指してはいけないということになります。

このブログでもう過去に何度も繰り返して書いていますが、ど真ん中というのは中道、中庸を生きるということです。

だからふつうというのは一番難しいのです。オリンピックで金メダルを取ったり、大会やコンクールで優勝すれば立派だと思われるのです。

だからそういう人たちが何か変なことをしでかすと、みんなが首をかしげることになるのですが、極端を生きれば成果は出せても激しい分離が起きるのです。

その結果、真反対のエネルギーによって問題行動を起こす確率が高くなってしまうのは、マインドの仕組みを理解すれば至極当たり前のことだと分かります。

適当(なバランス感覚)とわがまま(我のまま)に生きるのが中道の特徴だと思って下さい。

そして完全にど真ん中になった瞬間、エゴは耐えられずに絶滅してしまうのです。それを覚醒というのですね。