存在の最も奥深い核心

信頼はあなたの内側から、あなたの主体性から育つ。ちょうど疑いが内なるものであるように、信頼もそうだ。そして、内なるものだけが、内なるものを変容させることができる。信念は外からのものだ。それは助けにはならない。あなたの存在のもっとも奥深い核心に届くことはできないからだ。

by osho

繊細な人は大抵が罪悪感を感じることが辛いために、それから逃げようとして自己犠牲を繰り返してしまうのです。

私自身も罪悪感からは遠ざかりたいという衝動を持っている自覚があります。けれども、一方では罪悪感は存在の最も奥深いところまでは届かないと分かっています。

そうした言葉では表現できないような安心感があるからこそ、何が何でも罪悪感から逃げようとはしないでいられるようになったのです。

罪悪感でやられてしまうのは、所詮はエゴの部分だけだからです。罪悪感に限らず、実はどんな感情であっても同じことが言えるのです。

どのような感情であれ思考であれ、それらは全部エゴの範疇だからです。↑上で言っているように信念も思考であり、それらは全部外からのものです。

信頼は思考や感情とは異なる存在の深い部分からやってくるものなので、信念や信じることとは全く違うのです。

もっと簡単に言ってしまえば、表面的なこと、あるいは物語の中のことは、それが何であれ存在のもっとも奥深くへは達しないのです。

なぜなら、真実と物語が触れ合うことは不可能だからです。こうした気づきは、日頃意識的である練習によって自然と身についてくるものだと思いますね。