ただ見るということ

死と生は、その観照者の視野へと入ってくるが、その観照者は永遠だ。それは、あなたが生まれる前からあり、あなたが逝ってからもそこにあるだろう。あなたは何百万回もこの世に来たし、これからも来るだろう―それでもなお、あなたはけっして来たことはない。

by osho

言葉で真実を表現しようとすれば、そのすべてが方便になってしまうのです。↑この言葉もそのように読む必要があります。

もしもこの言葉から何か具体的なイメージが浮かぶとしたら、それは間違いです。言葉の背後にある何かを感じるようにするほうがいいのです。

観照者という誰かがいるわけでもないし、その存在が視野を持っているということもありません。

ただ真実からやってくる生と死の繰り返しに気づいている意識が在るということです。とこのように解説すれば、これも立派な方便になるわけです。

真実は解明されるものではありません。解明とは思考の範疇のものだからです。それよりも真実は思考がないときに、その姿を露出してくれるのです。

だから真実はどこか遠いところに隠されているということもないのです。こうした osho の言葉に触れることで、現実という物語を見つめるきっかけにすればいいのです。

ただただ見つめるなら、そこにはもうすでに真実がやってきてくれるからです。それは大そうなものではなく、すごく当たり前なことなのです。

単純過ぎて、思考が止まってしまうくらいなのです。あなたが何百万回この世に来て去って行ったとしても、真のあなたは見ているだけなのですね。