理由のないことの中に真実がある

この世界というのは、多くの場合何らかの原因があってその結果が出てくるわけです。つまり物事には因果関係があるということ。

たとえば、食べ過ぎれば胃がもたれる。お金を浪費すれば、貯金が減っていく。人のために努力したら感謝される等々。

頑張って仕事をしたら、給料が上がるかもしれないし、あるいは多くの人にその業績を認めてもらえるかもしれません。

そうしたことがモチベーションとなって、頑張ったり努力したりできるわけです。そんな中で、私のような変わり者もいます。

変なやつと思われるのを覚悟で告白しますが、私は自分の努力で収入が増えるよりも、宝くじで当たった方が嬉しいタイプなのです。

お金を拾うということでも構いません。自分がやったことが報われるということに、あまり興味が昔からないのです。

報われずして手に入ることが何よりも好きなのですから、こればかりは仕方がないのです。自分でもこの性質は社会では不利だなとは思ってきました。

ところが、最近になってそんな自分でもいいのかもしれないと分かってきたのです。本当に素晴らしいことには、原因がないということが分かったからです。

全く原因の見当たらない感謝というのを経験したことがあるし、何かジワッとした喜びのようなものがくるときも、何の理由もないのです。

だとしたら、つまり因果がないのであれば期待するということもできなくなるのですが、それが非常に心地いいのです。

真実というのは、そもそもその因果の法則の外にあるのです。だから報われるということもありません。何だか、スッキリしていて気持ちいい感じがしませんか?