何でもない今を満喫する

思考が落ちて、自我も一時的に機能していない状態を経験したことがあるのですが、その時いつもと全く違った感覚がありました。

それは今この瞬間の密度がすごく高いという感覚。今が凝縮していて、もうそれだけで満ち足りるというような感じです。

あれは体験しなければ理解することはできません。自我が戻ってきたときには、あの満ち足りた感はあっという間に消え失せていました。

日頃思考の中で生活している限り、今この瞬間が薄っぺらい感じになってしまうのです。それは仕方のないこと、なぜなら思考は過去か未来のみをターゲットにするしかないからです。

だから何もしないでじっとしていると、自我は退屈を感じ出すわけです。退屈とは自我にとっては危険だという知らせなのです。

自我というのは、何かに従事していなければ自分がもたなくなることを知っているのです。退屈という危険信号を出すことで、何かをせざるを得ないようにさせるのです。

思考(自我)がないときには、退屈というものは存在しません。それどころか、今この瞬間の濃度が高くなって、何は無くとも充分に満足なのです。

私たちは自分が満たされないのは、自分がするべきことをしていないからだと思いがちですが、本当のところ不満の原因は思考によって充分に今この瞬間にいることができないからなのです。

このことを深く理解できるなら、自ずと生き方が変化してきてしまうでしょうね。思考がなくなれば、今を満喫することができるのですから。