柔らかくあること

人は他の誰かのことを、あの人はこういう人間だとか、この人はこういう考えを持っている人だというように決めつける傾向にあります。

それは、分からない人よりも分かった方が安心できるからです。対応もしやすいし、安全だからです。

そしてそんなふうに決めつけられた人は、その期待に応えようとして無理をしたりするようになるのです。

本当の自分はそんなんじゃない、そう主張できれば一番いいのですが、何だか分かってもらえないようだし、意外な表情をされるのもしんどいし。

結果として、気がつくと人が思っているような人物になったりするのです。そうなると、毎日が本当に生きづらくなってしまいます。

物事をこうだとかああだとか決めつけるのは、単なる防衛だということに気づけば、それが馬鹿馬鹿しいことだと分かり、放っておくこともできるのです。

人のことばかりでなく、自分自身のことについても、自分はこういう人間なのだと決めつけてしまえば、そこから不自由さがやってくるのです。

この社会では、確固とした信念を持つことはいいことだとされていますし、しっかりとした主義主張をすることは、成熟した大人の印と思われているかもしれません。

けれども、それも含めてすべては防衛なのです。どんなことも決めつけずに、起きてくることをあるがままに見ることこそ、無防備な生き方なのです。

硬いマインドは融通が効かずに不自由な人生を生み出すのです。どんな特定の形もなく、柔らかくそして脆いマインドであれば、人は自由になるのですね。