気楽に生きる

このブログでは、何度も繰り返し自我というのは実在しないということをお伝えしています。

個人としての「私」という自覚、それは自我(思考)からやってくるのですが、それは疑いようもなく実在しているように感じるのです。

けれども、歴史上の覚醒した人のすべてが口を揃えて言っていることは、私はいないということです。

私自身も、たった数時間の間だけでしたが、私がいない体験をしました。それをどう言葉で表現すれば伝わるのか…。

その体験はともかくとして、私がいないということはどんな感じなのか全くわからないという人に、一番手っ取り早く分かってもらう方法があります。

それは、子供の頃に何かに夢中になっていた時のことを思い出せばいいのです。その瞬間、自分のことをすっかり忘れていたはずなのです。

あれこそが、自我が一時的と言えども落ちている状態なのです。ごく普通の体験でしかありません。誰でも知っているはずです。

そしてもう一つ、こちらはちょっと分かりづらいかもしれませんが、その私がいない状態に意識を向けていることも可能なのです。

それこそが思考は停止していて意識だけが目覚めている状態。この体験は、個人としての私がいないということに気づいている状態ですね。

とにかく個人という存在は妄想でしかないのです。だから本当は何があっても大丈夫。傷つく自分などいないのですから。気楽に生きることにしませんか?