自分だけが見えない世界

私たちは、誰もが自分の姿だけが抜け落ちている世界で生きているのです。この意味分かりますか?

小学生の頃、授業中の教室の中を見回してみても、自分だけは友達の姿を見るようには見ることができないことを知っていました。

違和感を持ってはいたのですが、さすがにそこを追求するだけの力がなかったので、そのまま放っておいたのです。

そしてそのことは、ずっと長い間すっかり忘れられていたのですが、今から8年前くらいから復活してきたのです。

ただ復活したのではなくて、自分の姿がないということがとてつもない真実を見させられていることに気づかされたのです。

写真の中の自分や、鏡を覗き込んだときに映る自分の姿を見て安心するのですが、そうしないでいたら自分は他人のようにはいないということが目立ってくるのです。

この年齢にもなると、自分を見ようとして鏡を見ることはほとんどなくなってくるので、ずっと自分が見えない世界で生きるのが普通になってしまいました。

安心がいらなくなってくると、年齢を重ねた自分の姿が見えない世界で生きるのは、居心地がいいものですね。

そして都合よく、見えているもののすべてが自分の本当の姿なのだという感覚がやってくると、一瞬であれ防衛が消えて愛だけになるのですね。