自分とは何なのだ?を追求する

私たちの一人ひとりが本当に救われる方法はたった一つしかありません。それは、自分の正体を見抜くこと。ただそれだけなのです。

けれどもその探究に立ちはだかって邪魔をするのが自我なのです。そしてその自我こそが、これが自分だと思っている張本人なのですから厄介です。

つまりは、私たちは自己の本質を見誤った上に、思考によってでっち上げられた自我のことを自分自身だと堅く信じて疑おうともしないのです。

それどころか、こういった話しには全く興味を示さずに、ただ怪しい宗教か何かの教えのようなものだろうと考えるのです。

これはスピリチュアルなことでも何でもありません。非常に現実的な全く持ってリアリティな話しなのです。

自我というのは本人のDNAと、生育環境によって作り上げられるものなので、特に環境の良し悪しによって、かなり決定的な違いができてしまうのです。

場合によっては、80年程度の一度の人生の中で、十分に癒しができるとは限りません。そんな場合は、心理療法などの癒しをしなくてもいいと思います。

とにかく、自分という存在は何なのだ?というところを探究することです。たとえ自我が消えていかないとしても、自己の本質を垣間見ることができるかもしれません。

その経験はきっとなにものにも代えがたい特別なものとなるでしょうね。