海の一滴

私たちはとかく他人と自分を比較しては、喜んだり悲しんだりして生きています。人間とは、そもそも不平等だと感じているのです。

けれども、いずれ確実にやってくる死は全くもって平等なのですね。それだけは変わらぬ真理なのです。

人生の最大のイベントは、誕生と死です。その間に挟まれてしばらくの間、生があるのですが、時間のない無からやってきて、無へと帰還するのです。

だから生の長さの違いなどは何の意味もありません。どんな生であろうと、永遠の無へと戻っていくのですから。

ちょうど海面が荒れて、その飛沫の一滴が空中にやってきて、しばらくの後に海面へと戻っていく様と同じようなもの。

その一滴が空中でどうあろうと、それはまさしく海の一部であることに違いはないのです。別の一滴との違いを見て、喜んだり嘆いたりの無意味さ。

その一滴が海に戻ることを恐れて、海の中に溶けて消えていくことを怖がっているのです。それが自我という幻想がやっていることです。

どの一滴もその成分は、海の成分と全く同じにできているのです。丸みを帯びたその形があたかも海とは分離したものだと思わせるのです。

私たちの成分も無でできています。身体を持っているので、分離した存在だと勘違いしているだけなのですね。