「ここ」と「そこ」の違い

この生において一番大切なことは、自分は身体ではないとはっきり知ることです。身体との同一化が外れたら、痛みからも解放されるはずだからです。

痛みが消えてなくなるということを言っているのではありませんが、自分が身体の痛みを感じているという解釈と、身体のそこに痛みがあるということとではまるで違うのです。

osho の弟子の歯医者さんが、osho の歯の治療をする際に麻酔をかけなくていいよと言われて、きっととまどったことでしょうね。

実際、麻酔なしで歯の治療を受けているときに、osho はその痛みがどんなものかを感じながら笑っていたそうです。

これは何もosho が無類の我慢強さを誇る人間だということではないのです。全くそうではなく、ただ身体との同一化がなければそうなるということです。

私は少々変わった少年だったので、その頃からずっと身体の苦痛というのは一体全体何なのだろうと思い続けてきた記憶があるのです。

けれども、身体との同一化を外すだけでそんな疑問も消えてしまうのだというところまでは気づけませんでした。

あなたの身体はそこにあるけれど、あなたはそこにはいないのです。さあどこか?それは一人称のあなたが知っている「ここ」です。痛みは「そこ」にあるのです。