全体性についての補足

昨日のブログでは、全体性の感覚のことについて書いたのですが、もう少し補足しようかなと思います。

より具体的なことで説明することができれば、分かりやすくもなるのかなと思ったので。

例えば、『空っぽで、自由で、そして自然でありなさい』と言われたら、ものすごく気持ちが楽になるのですが、すぐにそれだけでは生きていけないという考えがやってきます。

もしも誰かに理不尽なことをされたり、搾取されるようなことがあれば、そんな呑気なことを言ってられないとなるのです。

この場合、自分の立場で考えるから自分を守らなければいけないとなるのですね。この「◯◯の立場」というのが問題なのです。

寄生される生物の立場になったら、とんでもない理不尽な目に遭ったことになるのですが、寄生する生物の立場に立ったら、そうする以外生きる道がないのです。

ライオンに追われて食べられてしまうシマウマの赤ちゃんを見たら、シマウマの立場になったら酷い仕打ちだけれど、ライオンの立場であれば生きていくために必要なことです。

そして野生動物の生態系という全体で見たら、何も問題がないということになるのです。それが全体性の感覚とも言えるのではないかと思うのです。

結局、全体性とは個別的などの立場にもならない時の感覚だということ。一見すると、すごく冷たいような感じもしますが、確かに全体性には感情がないのかも。

感情だけでなく、思考もないのです。全体性とはただ見ることだからですね。だから、空っぽで、自由で、自然であることになるのです。