このブログでは、できるだけ意識的であれということを繰り返しお伝えしていますが、この意識的であるということをもう少し具体的に説明してみようと思います。
意識的であるとは、あなたが目の前にいる人を見ている時、あるいは通りがかった家の庭に咲いている花を見ている時、どこからそれを見ているのかに気づいていること。
目の前にいる誰かとお話をしているときに、その人を「ここ」から見ているということに気づいているということです。
「ここ」というのは、自分自身からの距離がゼロの場所を指します。肉体は自分からの距離がまだあるのです。
「ここ」から、綺麗に咲いている花を見ているのです。普通なら綺麗な花にばかり注目が行ってしまいがちですね。
けれども、それと同等かそれ以上に「ここ」に気づいていることなのです。なぜ「ここ」という表現を使うかというと、「私」を排除するためです。
一般的には、「私」がその花を見ているのですが、「ここ」からその花を見ているに変えるのです。「ここ」こそが私たちの本質だからです。
それは位置のことではないのです。なぜなら、「ここ」というのはあなたがどこで何をしていようと一切変わることなく「ここ」だからです。