自我というのは、いつもいつもほっつき歩きたがっているものです。だからこそ、重罪を犯したものへの見せしめとして、狭い独房というのが用意されています。
薄暗い独房に何年も閉じ込められていることをイメージしただけで、気が遠くなるほど堪え難い気持ちになりますね。
それは、自我がじっとしていることがとても苦手だからなのです。だからこそ、自我は本質的には瞑想が苦手なのです。
物理的に一箇所にじっとしているとしても、マインドの中ではあっちに行ったり、こっちにフラフラしてみたりをずっと繰り返しているのです。
自我は、「ここ」にいられない存在なのです。言い換えれば、自我は「ここ」には到達することができません。
もしも「ここ」に行き着いてしまったとしたら、自我はもたずに崩壊してしまうはず。それをまず理解することです。
そしてその真逆ですが、私たちの本質は常に「ここ」に在るのです。「ここ」というのは場所のことではなく、全体性のことです。
今あなたが目の前のものを見ているとき、あなたの本質は「ここ」から見ているのですが、あなたの自我は肉体のある場所から見ていると思い込んでいるのです。
その違いをいつも気づいていられるように、何度も繰り返して練習することが大切ですね。