否認 その2

昨日のつづきです。

自分にとって都合の悪い自分を、「それは自分ではない」として自分から分離することを否認というというお話しをしました。

そうやって自分の心には沢山の都合の悪い断片が出来上がってしまいます。それと同時に、その都合の悪い部分を見えなくするために、自分の心の奥深くに隠してしまいます。これを抑圧といいます。

これで表面にいる自分の意識は都合のいい自分だけになって、気持ちよく毎日を生活できるというわけです。

そして、日々の生活の中で、あらたに都合の悪い自分が出現しようとするたびごとに、やはり「それは自分ではない」として、心の奥深くにしまい込み続けてしまうのです。

この否認による自己防衛はうまく機能しているようにみえて、実は限度を超えると大変なことになってしまいます。

それは、あまりに抑圧し過ぎたものは、その下向きの力に反して上向きに逆襲してくることになって行ってしまうからです。

そうすると、今まで理性的に生活していた自分が、いきなり幼い子供のような言動をしてしまったり、急に泣き出したり、怒り出したりしてしまうことになるのです。

何か自分の中に別の自分がいて、それが心の中で暴れているような感じがしてしまうかもしれません。実際、そのようなことが心の中で起きているのです。

これは、都合の悪い自分を見ないように否認して蓋をしてきたことの「ツケ」が回ってきたということに他なりません。これを解決するためには、否認を解除するしかありません。

それには、何を否認し続けてきたのかということをしっかり確認する必要があります。ところが、否認してきてしまった自分の心の断片を直接心の奥に探しにいくことは相当に難しいことです。

それはもしかしたら、苦行難行を積んだ修行僧のような人なら可能かもしれませんが、凡人である私たちにとっては至難の技です。

しかし、そんな難しいことをせずとも自分が無意識に否認してきたものは探さずとも見えるところに実はあるのです。

人の心のメカニズムとして、奥深くに抑圧した都合の悪い自分の部分は、必ず自分の外側へと投影されます。その投影されたものこそ、私たちの身の回りに起きているこの現実であるということです。

従って、目の前にいる都合の悪い人たちを見れば、それがそのまま自分が今まで否認してきた都合の悪い自分であるということです。

誰かを許すとは、否認してきた自分を認めるということと同じであることがこれで理解できたと思います。周りを許すことで分断されていた自分の心が一つに戻るのです。