愛のセラピー

セッションをやっていてセラピストとして一番困るのは、幸せになりたくないと思っている人がいらした場合です。幸せになりたくない人がなぜ、わざわざセッションにやってくるのか不思議に思うかもしれませんが、これは紛れもない事実です。

仮にからだの病気を治したくないと思っている患者さんが来たとしても、医師はその病気を治すことができるでしょう。本人が病気を治したいか治したくないかに関わらず、物理的な病気は治療できるからです。

しかし、明らかに心因性の症状については、本人がそれを本気で治したいと思わなければ治すことができないのと同じように、幸せになりたくない人を幸せに向かわすことはできません。

一般的に言えば、私たちは誰でも心の中に幸せにはなりたくないという部分を持っています。しかし、その部分は通常心の奥に隠されていて表面に出てくることはありません。

ですから、そうした心があるとは自覚していないのです。ところが、稀にそれをはっきりと自覚している人もいるのです。それは、あまりにもその心の部分のパワーが強いために、隠しておくことができなくなってしまっているからだと思われます。

そうした人は、例えて言えば薬物中毒患者に似ているといえます。禁断症状が出てしまっている人に幸せを求めてくださいと言っても到底聞いてはもらえないのは当然ですね。

そういう状態では、今その瞬間に渇望しているものを満たせればそれだけでいいという切羽つまった心のありようであるわけです。

そういう人にセッションをすること自体に所詮無理があるのかなと思ってみるのですが、そうした場合いつも思うのは、自分が小手先の技術を使ってセラピーをする方向に行き過ぎてしまっていることに気付かせてくれようとしているのかもしれないということです。

クライアントさんとのセッションで一番大切なのは、セラピストの愛です。クライアントさんを愛の塊であると見ると同時に、自分の愛を与えることなのです。

そのことを思い出せば、どんな心の状態のクライアントさんがいらっしゃっても、セラピストがするべきことは悩むことなく一つであるはずなのです。