内なる空はただ<在るということ>

あなたが自分は善人やあるいは悪人に
罪人やあるいは賢者になったと思ったとしても
それはただの考えにすぎない
なぜなら、あなたの内なる空は
決してどんなものにもなりはしないのだから
それは<在るということ>なのだ
それは決してどんなものにもなりはしない

by osho

↑上で「ただの考えにすぎない」と言っているところが肝なのですね。ただの考え、ただの思い込みなのですが、それを事実だとする習性があるのです。

存在に意識を向けることができるなら、こういった考えに気づくことができるということです。誰もがただ存在しているということだけが事実なのです。

善人、悪人、罪人、賢人に限らず、あらゆる○○人というのはすべてが思考の中で作り上げたもの、物語の中でしか見ることのできない空想の産物なのです。

思考が緩んだ状態で周囲を見回せば、残っているのは存在だけだということに気づくはずなのです。

存在を見るなら、全ての存在は対等だし、否定も肯定もする対象ではないことも分かるのです。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが、起きてしまった罪はあるにしても、そうするにはそうせざるを得ない事情があった…、ということではありません。

起きたことは嫌なことだけど、それを起こした罪人がいるわけではないという方が近いかもしれません。

<在るということ>は、解釈することも判断することもできない、つまり思考の外側に在ること。

存在に気づいているなら、その時には思考から離れていることができるのです。そのときには、物語もただ見ていることができるはずなのです。